レトルト食品は軍事技術から生まれ、日本が育てた食のイノベーション ~レトルト食品の歴史~

レトルトカレー画像 食べ物の歴史

常温で長期間保存できて、加熱するだけで簡単に食べられるレトルト食品は、忙しい現代人の心強い味方です。
そんなレトルト食品は、実はアメリカの軍事技術から生まれたものだったんです。また、日本がそのレトルト食品を苦労して育て上げて、いまや世界一のレトルト食品大国となっています。
今回は、レトルト食品の歴史と日本初のあのレトルト食品についてご紹介します。

レトルト食品とは

調理した物を 気密遮光性の袋(容器)に密封し、高温・高圧で殺菌した食品のことです。

高圧下120℃の高温で4分以上殺菌することで、ウエルシュ菌やボツリヌス菌などの高温耐性菌まで殺菌が可能となります。また、専用のプラスチックフィルムまたはアルミ箔との多重フィルムは、光や酸素を通さないため、食品の劣化を長期間抑えることができるのです。

そのため、レトルト食品には以下の優れた特徴があります。
・保存料を使用せずとも安全・衛生的
・ビタミンなどの栄養素の消失が少ない
・常温で長期間保存が可能(1~2年ほど)
・幅広い調理物に対応できるため、おいしく食べられる非常用備蓄食にもなる
・短時間で温めて食べることができる
・軽量のため、持ち運びが楽で、開封も簡単
・食べ終わった後の容器の廃棄が簡単にできる

レトルトって何?

レトルトとは、 「加圧高温釜」を意味します。もともとは化学実験で蒸留や乾留をする際に使われるガラス製の器具のことでした。

レトルト食品は アメリカ陸軍が生み出した「軍用携帯食」

ーーー食品をレトルトに入れて高温と圧力を加えると、細菌が減滅し、腐りにくくなるーーー
1950年代、アメリカ陸軍は重い缶詰に代わる軍用携帯食の研究を進めていて、この技術を世界で初めて開発しました。

アメリカの一般社会には根付かなかったレトルト食品

レトルト食品は後に宇宙食として採用されたのをきっかけに、 人々の注目を集めました。
しかし、アメリカ食品衛生局が市販の許可を出さなかったため、市販化までには至りませんでした。
理由の一つは、レトルトパウチの安全性の問題が払拭できなかったからだそうです。
ほかにも、アメリカでは当時既に冷凍冷蔵庫と冷凍食品が一般普及していたため、消費者ニーズに合わなかったようです。

また、世界で初めてレトルト食品を製品化した国は、スウェーデンといわれていますが、やはり日本ほどには普及しませんでした。

日本が育てたレトルト食品 

レトルト食品の技術と可能性に目をつけたのが日本の企業でした。
日本では、当時冷凍冷蔵庫の普及が遅れていたため、常温で流通・保存できる缶詰に替わる新しい加工食品として期待されたのです。

大塚食品の開発陣は、ソーセージを真空パックにしたレトルト食品が紹介されていたアメリカの専門雑誌の記事からアイデアを得て、「お湯で温めるだけで食べられるカレーができるかもしれない」と考えました。
そして、「一人前入りで、お湯で温めるだけで食べられるカレー、誰でも失敗しないカレー」をコンセプトに開発がスタートしました。

日本初のレトルト食品は、大塚食品の「ボンカレー」
完成までの長い道のり

レトルト食品はそもそも米軍の研究が大元のため、日本でのレトルト食品の開発が始まったとき、資材もノウハウも無く、全て自分たちで調達・開発するしかない状況でした。
パウチ(食品を包む袋)にする包材もレトルト釜も当時の大塚にはなく、グループ会社で所有していた点滴液の殺菌技術を応用してレトルト釜を試作し、パウチの耐熱性や強度、中身の耐熱性、殺菌条件などのテストを繰り返し行ったそうです。

当初のパウチは光と酸素を通したため、賞味期限は冬場で3ヶ月、夏場で2ヶ月でした。
また、衝撃に弱く、輸送途中に破損しやすかったようです。
それでも改良が重ねられ、光と酸素を遮断するパウチが開発され、破損も防げるようになり、賞味期限も2年に延びるようになりました。

そしてついに、1969年(昭和44)年に世界初のレトルトカレー「ボンカレー」が発売されたのです。

「ボンカレー」、発売当初は疑われる

発売当初、この新技術で作り出された見慣れない商品に対して、世間からは「腐らないのなら防腐剤が入っているのでは?」という声が飛んできたそうです。
また、当時、外食の素うどん50〜60円の時代に、ボンカレーは1個80円で売り出したためか、「高すぎる」という反応も。
いつの時代も、先進的なものは初めは疑われ受け入れられないもののようですね。

そこで、営業マンが朝から晩まで50軒、60軒の小売店を回り、お店に置いてもらえるように試食してもらったり働きかけたりしました。
さらに、女優の松山容子さんがボンカレーをもった宣伝用ホーロー看板を製作し、許可を得たお店に貼っていったのです。
なんと貼られたホーロー看板は全国で9万5千枚にもなったそうです。
そうした営業マンの努力の甲斐もあり、ボンカレーは次第に売上を伸ばし、1973年には年間販売数量1億食を達成したのです。

そしてそれに続けとばかりに、国内外のほかのメーカーも、レトルト食品の製造を始めるようになったのです。
日本がレトルト食品というジャンルを育てたことは間違いありません。

増え続けるレトルト食品の需要

レトルト食品の流通量は、なんと日本が堂々の世界1位です。
また、レトルト食品の生産量は年々増えていて、この20年間で2倍以上になりました。

なぜレトルト食品の需要は増えているのでしょうか。
消費者アンケートからは、レトルト食品を食べる場面として
「ふだんの食事のメニューとして」「料理を作るのが面倒な時」「時間がなく、すぐ食べたい時」「ひとりで食事をする時」などが挙がっており、
また、個別コメントからは「味がおいしい」という声も聞かれます。

レトルト食品が、保存食でありながら十分おいしく手軽に食べられることが、現代人のニーズに合っているのですね。
いまや一般の家庭では欠かせない食品のひとつとなっています。

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