秋のシーズンになると栗を使ったスイーツをよく見かけるようになりますよね。
鉄板のモンブランのほかにもマロンパフェやマロンラテ・・・そしてマロングラッセ。
・・・でも、実は「マロン」って栗のことじゃなかったんですって。
ええっ!? そうなの!?
このことを初めて知った時は衝撃的でした・・・。
しかし、これにはこの言葉の使い方の歴史背景があるみたいで・・・。
今回は「マロン」とは何なのか?について、深い関係のあるマロングラッセの歴史とともに調べたことを書いていきたいと思います。
「マロン」とは
マロンとはフランス語で「マロニエの実」という意味のようです。
マロニエとは「セイヨウトチノキ」のこと。シャンゼリゼ通りなどの街路樹で有名な木です。
栗は、フランス語で「シャテーニュ」というのだそうです。
とはいえ、当のフランスでも「マロン」という言葉を、栗にも「マロニエの実」にも使うようです。
マロングラッセとは
簡単にいえば「艶出しした栗のシロップ漬け」。
しかし具体的には、皮をむいた栗をシロップで煮て、数日かけてシロップの糖度を徐々に上げていき、その後糖度を下げて完成、というとても手間の掛かるお菓子です。そして、糖衣を纏って氷のような光沢をもった気品ある見た目をしていることから珠玉の宝石などとも表現されます。
さらに、使用するシロップにバニラや洋酒も使うことで、芳醇な香りと風味がハーモニーを奏でる上品で贅沢なスイーツとなるのです。
なお、マロングラッセのマロンとは「ヨーロッパグリ」を指し、グラッセとは「氷・凍らせる」を意味します。
「グラッセ」は、マロングラッセの見た目が氷のような艶をもっていることから付けられましたが、これにより以後グラッセには「糖衣がけ・艶を出す調理法」という意味が追加されることになりました。
実は「マロン」という言葉も似たような歴史背景をもっていたのです。
マロングラッセの歴史
調べてみると、古くは紀元前、英雄アレキサンダー大王が最愛の妻ロクサーヌのために贈った、という話があり、そのためヨーロッパでは永遠の愛を誓う証として、男性が女性にマロングラッセを贈る習慣があるのだとか。
英雄アレキサンダー大王はアジア遠征の際、インドで「蜂の力を借りずに葦からとれる蜜がある」と記録し、これが世界史における砂糖の初登場とされています。
また、拠点のマケドニアから遠征路の中東や中央アジアには栗生産の盛んな地域もあったようです。
おそらく現在のマロングラッセの原型のようなものがあったのだと考えられます。
マロングラッセ発祥の最も有力な説は、16世紀のフランスまたはイタリアで発祥したというもののようです。
まず、栗(ヨーロッパグリ)は、南東ヨーロッパと小アジアに自生していたものがヨーロッパ各地へ伝わっています。
ヨーロッパでは、栗は「パンの木」とも呼ばれ重要な食料である一方で、田舎や貧乏人の食料とみなされ、あまり良いイメージを持たれていなかったようです。
一方、砂糖は11~13世紀の十字軍の遠征によってヨーロッパに伝わりました。
それによってフランスやイタリアで砂糖漬けの栗が作られるようになったようです。ただし、この時代の砂糖はかなり希少な高級品でした。
さらに1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見し、その後16世紀になると、ブラジル・カリブ海の島々で大規模なサトウキビ栽培が始まりヨーロッパで砂糖が普及し、砂糖を使った食文化が発展していきます。(それでもまだまだ高級品でした)
そして、16世紀にフランスのリヨンまたはイタリアのクーネオでマロングラッセが誕生した、とされています。
それぞれを見てみましょう。
フランス発祥説
16世紀に、フランス中部のリヨン(栗の産地であるアルデッシュ県に近い)で誕生した、という主張があるようです。
また、マロングラッセのレシピが初めて文献に登場したのは、フランソワ・ピエール・ド・ラ・ヴァレンヌの「完璧なジャム職人」(1664年)のようです。
「暖炉で栗を砂糖水で再加熱すると、マロングラッセが得られます。」
これは当時、栗は貧乏人の食べ物というイメージが強かったため、イメージアップのために「マロングラッセ」と名付けてルイ14世(1638~1715年)の宮廷で出され、結果見事上流階級のためのスイーツとなったと言われています。
イタリア発祥説
16世紀、イタリアのピエモンテ州クーネオは、豊富な栗の生産と例外的な砂糖の供給に恵まれていました。
そして、サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世(1562~1630年)の調理人が発明し、サヴォワ公国の宮廷でマロングラッセが流行したのだと言われています。
マロニエの実「マロン」と栗の「マロン」
一方、マロニエ(セイヨウトチノキ)がフランスに入ってきたのは1615年(17世紀)のことらしいです。
栗とマロニエの実は見た目が似ているものの、マロニエの実は有毒で食用には向かず、あえて食べようとするにしても手間が掛かるようです。
つまり、栗と比べて歴史が浅い上に非食用だったのですね。
ただ、当時の栗がイガ中に3粒結実し小さく扁平気味だったのにに対して、マロニエの実は殻内に1粒(単生)であるため見た目の印象は良かったのではないでしょうか。
栗の品種改良が進む過程で単生の栗もできてきて、いつしか大粒で上質の栗は他のものと区別・差別化されて「マロン」と呼ばれ始めたみたいです。
つまり、栗は貧乏人の食べ物のイメージが強かったので、差別化のため、見た目は似ているがよりイメージの良いマロニエの実「マロン」の名を付けたのではないかと考えられます。
農学者のオリヴィエ・ド・セレスは、著作「農業劇場」(1600年)の中でサルドンヌという品種の栗を賞賛し、「リヨンではマロンと呼んでいます。」と書いています。
ただ、どのような栗をシャテーニュと呼ぶかマロンと呼ぶかの区分はとても曖昧だったようで、それもその後の混乱に影響したと言われています。
ともかく、シャテーニュは貧乏人の食べ物のイメージ、マロンは高級な食べ物のイメージ、が浮かぶ、そんな時代背景を辿っていたようです。
そう、「マロン(栗)」とは、正式名称であるシャテーニュの一部高品質品の別称として生まれた言葉だったのですね。
その後、「マロン(栗)」という言葉は、別称から徐々に曖昧な区別で一般にも浸透していったようです。
なお「マロン」が先に生まれたのか、それとも「マロングラッセ」の方が先に生まれたのかは、調べていてはっきりとしませんでした。
どちらの経緯もあり得ると思いますが、情報を整理して推察するにやはり「マロン」が先なのかな?と思っています。
さらにその後の1882年、エンジニアのクレマン・フォージエがマロングラッセの工業的製造方法を開発し、アルデッシュに初のマロングラッセ工場が設立されると、このお菓子が一般に普及するようになりました。
なお、いくつかのネット情報やお菓子の歴史本によっては、マロングラッセを考案したのはシェフの王様と呼ばれたアントナン・カレーム(1784-1833)だとか、マロングラッセは元々マロニエの実で作られていたといったことが書かれています。 しかし、別の考察記事や海外のネット情報では先述の16世紀にフランスまたはイタリアで発祥した説が詳しく書かれていて、私も読んでいて合理性や時系列的にこちらが有力そうだと感じてまとめてみました。
日本におけるマロングラッセの歴史
日本においては、明治25(1892)年に米津風月堂分店の米津恒次郎によってマロングラッセが作られているようです。それ以降、日本においてもマロングラッセは至高の高級品、珠玉のスイーツとして愛されるようになっていきます。
そして、昭和47(1972)年、「フタバ食品」がマロングラッセ製造に必要な職人技を機械システム化することに成功し、量産化が可能となりました。これにより日本中で高値の花であったマロングラッセを手軽に味わえるようになったのです。
・・・がしかし、正直マロングラッセってあまり話題に上がりませんね。
モンブランの方がよっぽど話題に上がってます。
あ、そういえばマロングラッセが上に乗ってるモンブランもありましたね(汗)。
私見ですが、マロングラッセは今どきの他の「映える」スイーツたちと比べると地味に見えがちで値段が高く感じてしまったり、甘露煮や天津甘栗のようなライバルがいるために話題に上がりにくいのかな、と思っています。
また、売られているマロングラッセの質もピンキリなので、初めて食べた時に良いマロングラッセに当たらず離れてしまうパターンもあるのではないでしょうか。
おいしいマロングラッセは本当においしいですよ。
さて、今回「マロン」とは何なのか?についてマロングラッセの歴史とともに調べてみましたが、予想以上に奥深い歴史があって興味深かったです。
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