コカ・コーラの歴史④ コカ・コーラとペプシの戦争

食べ物の歴史

みなさんはコカ・コーラとペプシではどちらのコーラがお好きでしょうか?
どちらも熱烈なファンがいますが、私は名前を隠されたら正直違いがわからなそうです・・・。
そんなコカ・コーラとペプシには、激しい広告合戦で覇権を争っていた時期がありました。
今回は、コカ・コーラが、第二次世界大戦後に辿った世界進出と強敵ペプシとの長年に渡る激しい争いの歴史についてご紹介したいと思います。

第二次世界大戦後の世界におけるコカ・コーラ

第二次世界大戦の戦勝国となったアメリカでは、コカ・コーラは強いアメリカの象徴そのものとなっていました。
そして、大手を振ってヨーロッパやアジアの国々へと進出していきます。

しかし、冷戦時代に入ると、反共産の共和党と仲のいいコカ・コーラは、ソ連など社会主義圏への進出はあきらめることにしました。
また中東では、アラブ市場が欲しかったのですが、市場の小さいイスラエルからの要請に応じて渋々進出をしたところ、想定通りアラブ諸国に反発されてしまいます。
ヨーロッパでも、アメリカのグローバル政策に反対する人たちによるボイコット運動が巻き起こっています。
このように世界各国で「コカ・コーラ」に対する反発が起きています。
しかし、それでもコカ・コーラは世界中で確固たる地位を確立し、その名前は広く知れ渡ったのです。

ペプシというコーラがコカ・コーラを脅かすライバルとなる

時代を戻して、コカ・コーラの誕生から7年後の1893年、ノースカロライナ州の薬剤師ケイレブ・ブラッドハムが、「ブラッドドリンク」という炭酸飲料を開発しました。
彼はコカ・コーラの成功を見て、1898年に商品名を「ペプシコーラ」へと変更しました。
「ペプシ」という名前は、たんぱく質消化酵素の「ペプシン」から名付けられたもので、消化不良改善の効能を謳った薬だったわけです。
ペプシが生まれたとき、コカ・コーラはすでに年間100万ガロンを販売していました。

王道を進んでいったコカ・コーラと比べて、ペプシは苦難の道を歩んでいます。
第一次世界大戦前後でペプシ社は二度の倒産をしてしまいます。
しかし、1930年代の世界大恐慌時代、ペプシはコカ・コーラに似た味に変えた上で低価格路線によってコカ・コーラを抜く勢いで売上を大幅に伸ばすことに成功したのです。
(このやり方は、実はコカ・コーラに対する個人的な逆恨みで始まっているというひどい話ではありますが・・・)
第二次世界大戦中は、前回の話のようにコカ・コーラが「軍需品」に認定され、異例の優遇を受けたことで再び引き離されます。

しかし、第二次世界大戦後、アメリカに反発する国々でアメリカの象徴コカ・コーラが排除されるようになると、その隙をついて売り込みを図っていきました。

1959年、ペプシは、ペプシの元弁護士だったニクソン副大統領を動かして、ソ連の最高指導者フルシチョフにペプシコーラを飲ませ、気に入ってもらうことに成功します。
この宣伝パフォーマンスによってペプシは、ソ連政府と独占契約を交わすことに成功し、コカ・コーラが諦めた巨大市場を手にしたのです。
また、中東でもコカ・コーラが排除されたアラブ諸国で人気を得ることに成功しました。

コーラ戦争の前夜

コカ・コーラは何十年にもわたって常に市場でトップであり続けていました。
一方のペプシも、紆余曲折を経ながらも、ものすごい勢いでコカ・コーラを追い上げていきます。
コーラ戦争が勃発するまでに、両社は100カ国以上で存在感を示すグローバルな大企業となっていました。

ペプシの秘策「ペプシ・チャレンジ」が炸裂! そしてコーラ戦争勃発へ

1975年、ペプシはコカ・コーラを標的にした「ペプシチャレンジ」と称した挑発的な広告キャンペーンを実施します。
それは、人々に目隠ししてコカ・コーラとペプシの飲み比べをさせる味覚テストでしたが、
「ペプシの方がおいしかった」という結果になり、大反響を呼んだのです。
「本当に?」と、みんなペプシチャレンジをやりだし、ペプシを強く印象付けることに成功します。
この事態にコカ・コーラは、「市場調査の結果、コカ・コーラの方が好まれていることがわかった」と強くアピールするのみでした。
実はコカ・コーラ社の内部調査でもペプシ側のテストと同じ結果になってしまったのだそうです。
ちなみにコカ・コーラとペプシは、化学組成的にはほぼ同じで、わずかにペプシの方がより甘くシロップのような風味であるといわれています。
人々はコカ・コーラの概念や思い出に強く惹かれていたものの、必ずしもコカ・コーラが最高の味のドリンクだと感じていたわけではなかったのです。
コカ・コーラは依然としてペプシより人気でしたが、ペプシのシェアが拡大し始めたことで、コカ・コーラのシェアは低下しつつありました。

この「ペプシ・チャレンジ」以降、ペプシとコカ・コーラの闘いは激しさを増し、「コーラ戦争」と呼ばれるものになっていくのでした。

コカ・コーラのカウンター技「ニューコーク」は大失敗・・・?

ペプシの放った強力な一撃に地盤を揺るがされたコカ・コーラは焦り始めました。
巻き返しを図るべく当時の健康ブームに乗って、1982年に「ダイエット・コーク」、1983年にカフェインフリーのコカ・コーラを販売し奮闘します。
しかしあるとき、「ペプシに味が似た新しいコーラを売り出してぶつける」という攻撃的な作戦を思いつきます。
そして、長い間秘密にして大事にしてきたコカ・コーラの配合を変えてまでこの作戦を実行し、1985年に「ニュー・コーク」と名付けて発売しました。

しかし、この作戦は完全に裏目に出てしまいます。
コカ・コーラのファンは、歓迎するどころかこの変更に大ブーイング、元のコカ・コーラの味に戻すよう要求したのです。
ペプシは、この事態を歓喜しながら高みの見物。
追い打ちをかけるように、「ニュー・コークを批判している女の子が、ペプシを試したら気に入っちゃった」というコマーシャルを公開します。
赤っ恥のコカ・コーラは「ニューコーク」発売からわずか3か月後、「元の味のコカ・コーラ」を「コカ・コーラ クラシック」として再販すると発表する事態になります。
このため、「ニュー・コーク」は完全に大失敗で、コカ・コーラは逆境に陥ったかのように見えました。 

しかし、幸いなことに人々はコカ・コーラ クラシックの発表に喜び、「突然、その飲み物をもう一度実際に味わいたいと思うようになった」のです。
人々はコカ・コーラの思い出、概念が気に入っていたのです。
そしてこの騒動によって、コカ・コーラもまた低迷気味だったブランドを再び強く印象付けることができたわけです。まさに怪我の功名。
「ニュー・コーク」の大失敗は、実際にはコカ・コーラの売上に貢献する結果となり、
以降、コカ・コーラはその後も続く激戦の中でもペプシを押さえて年間売上トップの座を維持することができたのでした。

コーラ戦争の行方

長年に渡ってペプシは第2位で、王者コカ・コーラの後を追う立場が続いています。
そのため、ペプシは常に挑戦者としての立ち位置でしたが、ペプシは逆にこれを最大限に利用しています。
コーラ戦争は、挑戦者ペプシの方が大胆さや革新性にあふれ、また挑発的な攻めの姿勢であり、一方のコカ・コーラはどちらかといえば守りの姿勢が目立ちます。
やはり王者であるコカ・コーラはペプシ側の挑発に下手に乗ってしまうと威厳あるイメージが崩れてしまいかねないのでしょう。
1980年代に入ると、ペプシはマイケル・ジャクソンなどの大物有名人を次々と起用した大胆かつ先進的なキャンペーンを展開していきます。
同時に、コカ・コーラを挑発する過激な広告も次々と展開します。

一方のコカ・コーラもサッカーの王様ペレを起用したり、ハリウッドやオリンピックとがっちり関係を深めます。

コカ・コーラがNASAに宇宙空間で炭酸飲料を飲めるかのテストを行う許可を取ると、慌てたペプシも同時にテストに参加できるよう調整を要求。
かくして1985年にコカ・コーラとペプシは同時に宇宙に打ち上げられ、無重力の世界で対決をすることになったのでした。

コーラ戦争は終わった・・・のか?

コカ・コーラとペプシは、広告合戦で激しく争ってきましたが、長年に渡って1位と2位の関係が続いていました。
そんな中1996年、フォーチュン誌は、ペプシの利益がコカ・コーラの利益を47%下回ったのを見て、「ペプシは戦争に負けた」と主張しました。
2000年代に入ると、肥満が社会問題となり、アメリカ人は炭酸飲料の消費を減らし始めます。
今度は2010年、ダイエット・コークが初めてペプシの売上を上回り、1位2位をコカ・コーラが占めたことで、
ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「ダイエット・コークがコーラ戦争で勝利する」という見出しを掲載しました。
その後も2019年のスタティスタの統計データによると、コカ・コーラは炭酸飲料市場の43.7%、ペプシは24.1%を占めていたとのこと。
比較的近年のデータでもコカ・コーラはペプシの倍近いシェアをもっているんですね。

このように、歴史的に何度か、新聞社などが「コカ・コーラが勝利した」という報道をしています。
時期はともかく、コカ・コーラの勝利でコーラ戦争は既に終わった、といえそうです。
しかしながら、いまだ「コーラ戦争は終わっておらず、今も繰り広げられている」という見方も多いようですよ。

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