コカ・コーラの歴史③ 戦争がコカ・コーラを特別な存在へと昇華させた

コカ・コーラ画像 食べ物の歴史

コカ・コーラは、まぎれもなくアメリカの象徴の一つであり、アメリカ人の心に深く刻まれた存在であるといえるものでしょう。
前回までの話で、コカ・コーラが難しいコカイン問題を乗り越えて、巧みな宣伝手法によって人々の心に浸透して人気を高めていったことを書きました。今回は、その後コカ・コーラが戦争という局面を迎えたことで起きた大きな歴史的変化についてご紹介したいと思います。

新社長ウッドラフの野望 と 迫るライバル社

コカ・コーラ社は1919年、投資家のアーネスト・ウッドラフに買収されることになります。その4年後の1923年には、息子のロバート・ウッドラフが社長に就任しました。
当時コカ・コーラ社はすでにアメリカ飲料業界トップの座に君臨していたものの、ウッドラフは満足していませんでした。ウッドラフも広告宣伝に力を入れるほか、コカ・コーラの提供方法の教育を徹底するなどし、1926年には念願の海外部門を創設して国際市場への進出を本格化していくのでした。
とりわけ世界的なスポーツイベントを支援してコカ・コーラを波及させるというスポンサー戦略は功を奏したようです。
その一方で、ペプシコーラを筆頭としたライバルたちも急速に存在感を高めつつあり、コカ・コーラの地位を脅かすようになってきたのです。
ウッドラフは、「全世界のあらゆる国でキリスト教の宣教師より先にコカ・コーラの旗を立てなければならない」と号令を発したそうです。

第二次世界大戦という逆風を追い風に変えたウッドラフ

そんな巻き返しを狙うウッドラフに、千載一遇のチャンスが訪れることになります。
1941年12月8日、日本の爆撃機がハワイの真珠湾を奇襲して第二次世界大戦に突入したのです。
ウッドラフは即座に次のような宣言をします。
「軍服を着たすべての兵士がどこで戦っていようと、わが社にどれだけ負担がかかろうと、5セントの瓶入りコカ・コーラを買えるようにする。」
まるで強がりのような宣言でしたが、そこには彼の強かな考えがあったのです。
コカ・コーラの製造に必須な「砂糖」は重要な戦略物資であるため、戦争が始まれば配給制となり、会社の運営に重大な悪影響を与えることになります。それを回避するには、「コカ・コーラが戦争に必要」だと政府に認めさせるほかないと考えたのです。
そして、政府の砂糖供給委員会に社の重役を潜り込ませて働きかけ、その結果、コカ・コーラは政府に軍需品として認められ、砂糖の配給制度から除外される特権的な地位を得たのです。
それには、コカ・コーラが既に全米で定着していて、若い兵士たちにも人気で欠かせない飲み物となっていたことも追い風になったといいます。すなわち、コカ・コーラは「兵士たちの士気高揚に重要な役割を果たす」効果をもつ軍需物資として認められたのです。

こうして強力なライバルたちを出し抜いて「戦争による砂糖供給規制」という難関をクリアしたコカ・コーラ社でしたが、次は戦地への配送という大問題にぶつかります。
コカ・コーラを軍隊の前線へ輸送するのには非常に苦労したようで、解決策として現地で生産する方法に切り換えることになりました。
こうして南極を除くすべての大陸に、政府の出資で64カ所ものコーラの瓶詰め工場が建設されたのです。
そこにコカ・コーラの社員が派遣され生産にあたったのですが、コカ・コーラの社員は技術顧問(Technical Observer、T・O)として将校並みの破格の優遇措置を受けました。
そのため、「コカコーラ大佐」とも呼ばれたそうです。

戦争によって、いつしかコカ・コーラは兵士たちの戦友となっていた

かくしてコカ・コーラは兵士達の間で絶大な支持を得、コカ・コーラはアメリカ陸軍の、公認飲料のような地位を与えられることになったのです。
前線の兵士たちにとってコカ・コーラはたんなる飲み物にとどまりませんでした。故郷の想い出の味であり、彼らはコカ・コーラに強い愛国心を感じていました。
それは指揮官も例外ではありませんでした。
特に熱狂的だったのが北アフリカ戦線の連合国軍最高司令官、のちに共和党の大統領となるドワイト・D.アイゼンハワーでした。
コカ・コーラが兵士の士気の維持に不可欠と考えた彼は、米国政府に「コカ・コーラのボトルを300万本送れ」という要求もしています。
このように当時のアメリカ軍を代表する軍人アイゼンハワーやパットンたちが大のコカ・コーラ好きだったということも、コカ・コーラの大きな味方となったのでした。

また、世界各地で生産されたコカ・コーラは、基地の近くに住む民間人にも飲まれることとなり、多くの人がその味に魅了されました。
こうして戦争を機にコカ・コーラはアメリカ軍と共に世界に広まっていったのです。

やがて第二次世界大戦が終結し、戦地から生き残った兵士たちが帰還してくるのですが、コカ・コーラは帰還してきたた兵士たちにとって共に戦った「戦友」であり、
もはや一飲料を越えた存在になっていました。
また、戦後、アメリカ政府は各地の工場をコカ・コーラに譲渡するとともに、TO制度は3年ほど続いたため、コカ・コーラは労せずに世界的進出の追い風を得たのでした。
コカ・コーラの快進撃はつづき、自由と民主主義を謳歌するアメリカの代名詞、強大な資本主義の象徴となったのです。

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