コカ・コーラ、昔は薬品っぽい匂いや味だと感じる人もいました。今はそう感じる人も少なくなったでしょうか。
さて、前回までの話で、売薬ブーム時代の中でコカ・コーラが「薬」として開発されたことをご紹介しました。今回は、コカ・コーラが、コカイン問題を乗り越えて全米的な飲み物になっていった歴史についてご紹介したいと思います。
敏腕キャンドラーのマーケティング戦略
苦労の末1886年にコカ・コーラを生み出したベンバートンでしたが、事情があったのか、彼は1888年にコカ・コーラの権利をエイサ・キャンドラーに売却してしまいます。そして、キャンドラーは、この飲料に独特の風味を加えると同時に、この製法を厳重な企業秘密としました。そして宣伝広告費に、コカ・コーラの売り上げの大半をつぎ込む作戦に打って出たのです。この作戦は成功し、やがて需要をさばき切れないほどに売り上げが伸び、工場の増設が必要になるほどでした。キャンドラーは、製法の秘密が漏洩することを警戒し、番号制による製造システムを考案しました。中央工場から各地の工場へ、半加工状態の原料を送り、製法マニュアルに従って番号順に内容を調合することで、工場の人間さえ秘密を知ることなくコカ・コーラを製造できる。この方法によって、コカ・コーラの製法の秘密を守りつつ、生産量拡大も可能になったというわけです。
コカ・コーラの大ピンチ コカイン問題の難局
やがてコカ・コーラの人気が全米規模に広がってくると、「コカ・コーラにはコカインが入っている」という噂もまた急速に広まり始め、不買運動も起きることになります。
当時はまだコカインやアヘンといった薬物の危険性が明らかになっていなかったため、これらを加えた強壮剤やワインが評判を呼んでいました。発明家トーマス・エジソンや女優のサラ・ベルナールといった有名人もその薬効を推奨していて、社会の大勢の人に影響を与えました。そして、コカ・コーラの人気とともにコカインの人気も急速に高まっていたのです。一方、コカインの使用が増えるにつれて、徐々にこの薬物の危険性がわかってきたのです。
キャンドラーは難しい立場に立たされます。
コカが入っていなければ商品名が成り立ちませんし、人気の要因はコカの薬効や神秘的なイメージによるところが大きいことをわかっていたからです。かといって、そのまま認めれば人気を保つのは困難になる。
キャンドラーのとった対応は、「コカからコカイン成分を除去してコカ・コーラを作る」というものでした。
1909年、連邦政府の調査により、コカ・コーラは科学的な分析をされ、結果、コカイン成分を含んでいないと公表されます。それに対しコカ・コーラ側は、製造協力者の一人に、「コカ・コーラは、コカインを除去したコカとコラの実をアルコールに溶かしたものを使っている」という旨の証言を行わせました。
これによって、コカ・コーラという名称を正当に維持しつつ、コカインは含まれず安全であるということが保障されることになったのです。
映画業界とのコラボが大成功
障害のなくなったコカ・コーラは、さらに人気を高めていくことになります。この頃、アメリカの映画産業も非常に興隆していたのですが、コカ・コーラ社はこれに目をつけました。次々に人気俳優をポスターの広告に採用し始めたのです。アメリカの新しい大衆娯楽として人々の心を捉え始めた映画。憧れの俳優たちが手にコカ・コーラを握ってポーズをとっている広告。その宣伝効果は絶大でした。
コカ・コーラという飲み物の味以上に、その飲み物のイメージの方を人々の心に浸透させることに成功したのです。コカ・コーラは大量かつ影響力の大きい広告を使うことで、魅力的でさわやかで永遠の青春性をまとった飲み物というイメージを作り上げたのでした。
コカ・コーラは、アメリカが得意とする資本主義でもっとも効果的な宣伝方法を最初に体現した例といえるでしょう。そしてさらなる高みへと登っていくことになるのです。
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