コカ・コーラの歴史①  コカ・コーラは薬として開発された?

コカ・コーラ画像 食べ物の歴史

おそらくは世界中の誰もが知っているであろう、あの有名なコカ・コーラ。
生まれたのは100年以上前と、意外に長い歴史を持つコカ・コーラは、今なお色褪せることのないエネルギッシュな魅力に溢れています。
世界中の人々に愛されるこの飲み物は、一体どのようにして誕生したのでしょうか?
なぜコカ・コーラというのか。水と砂糖以外に何が入っているのか。

今回はコカ・コーラ誕生の歴史についてご紹介したいと思います。

当時の時代背景

コカ・コーラが誕生する19世紀後半、南北戦争が終わったアメリカでは、インチキな手製の薬が大ブームとなっていました。これらは、錠剤や軟膏、シロップなどの形で売られていたのですが、実際の効果よりも新聞広告による宣伝効果で人気になっていたのです。その背景には、医師不足や 効きの悪い従来の薬に対する人々の不信感などがありました。やがて退役軍人がこれにはまるようになると、市場が巨大化します。「珍しい材料を使っています」、「アメリカ先住民の薬」などの謳い文句を使って根拠のない過大な健康効果を宣伝すると、人々は魅力を感じて次々買っていったのです。新聞社はといえば、広告収入が入ればそれでよかったので、インチキ薬の広告主の参入を野放しに歓迎し、そのおかげで新聞業界は巨大化しました。
そのような社会情勢の下で、いまもアメリカが得意とする「商標、広告、キャッチフレーズ、ロゴ、広告板の重要性」にいち早く気づいたのは、売薬業界の人々でした。

薬剤師ジョン・ペンバートン、手製の新薬作りに奮闘す

ジョージア州アトランタの薬剤師だったジョン・ペンバートンもまた当時大流行した手製の薬作りに情熱を燃やす一人でした。
彼には大衆向けの薬品を編み出すセンスがあったらしく、咳止めシロップや毛染め薬などを売り出し、けっこう売れていたそうです。
そんな彼の薬製造の試みは、成功と失敗の繰り返しでした。
1872年に破産宣告を受け、その後、立て直しを図るも二度の火災に遭い、在庫のほとんどを焼失してしまいました。
しかしそれでも、いつか大金持ちになる日を夢見て、新しい薬の開発は続けていました。

そんな彼にチャンスが巡ってきます。
薬の新たな材料として、「奇跡の植物」コカの人気が高まったのです。
ヨーロッパでは、薬剤師アンジェロ・マリアーニが、ワインにコカの葉をつけ込んで作る薬用酒「ビン・マリアーニ」を発明し、大ブームになっていました。コカインが含まれるため、気分が高揚し、眠気や疲労感がなくなるなどの強力な作用が、抗うつ剤などとして人気となったのです。
(当時コカインは麻薬とは考えられていなかった)

ペンバートンは、すぐにビン・マリアーニを参考にして、ワインにコカ、コラナッツ、ダミアナのエキスを入れた「フレンチ・ワイン・コカ」という薬用酒を作ります。
コラナッツとは、カカオの仲間であるコラノキ(コーラ、コラの木)の種子のことで、約2%のカフェインが含まれています。当時のヨーロッパでは魔法の薬のようにみられ、西アフリカでは古くから興奮剤として重用されていました。また、ダミアナはトルネラ科の灌木で、気分高揚や不安を和らげる作用があり、強壮剤として用いられています。
この薬用酒は、頭脳の疲労回復に役立つ洗練された飲み物として評判を呼んだらしく、順調に売れていったのでした。このままの状態が続けば、もしかしたらコカ・コーラという名の清涼飲料は生まれなかったかもしれないのです。

しのびよる禁酒法、その対策からコカ・コーラ誕生

ところが、フレンチ・ワイン・コカの商売が軌道に乗り始めた頃、アメリカ各州に禁酒の気運が高まり始めていたのです。
ジョージア州でも採択されれば、フレンチ・ワイン・コカを売り続けることはできなくなる・・・。
ペンバートンは、フレンチ・ワイン・コカに代わる非アルコール性の薬の開発を急ぐことになります。
そして、寝る間を惜しんで、コカを使った新しい薬の開発に没頭したのでした。

慢性的な病気に効果のある薬を作りたい、通常の薬とは異なるものを作りたい、とペンバートンは考えていました。
そして、苦みを抑えるために砂糖を加え、「水で薄めて飲む健康シロップ」として売り出すことを思いつきます。
完成に近づくと、試作品を近所の薬局に送り、客に提供させて反応を調べ試行錯誤を繰り返しました。

そして、1886年5月、ついに会心作が完成しました。
商品名は、「コカ・コーラ」。仕事仲間のフランク・ロビンソンが提案しました。
ロビンソンはのちに「2つCが並ぶと、広告で見栄えがするのではないかと思った」と語っています。
この会心作コカ・コーラは一杯5セントで売り出されました。
ところが、ある時水ではなく炭酸水で薄めたドリンクが偶然生まれ、コカ・コーラの人気に火が付いたといいます。
そして、まもなくアトランタで一番人気の高い清涼飲料の地位を得ることになっていくのでした。

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